武器化する言葉
一昨日の世間が注目した記者会見はいろいろ考えさせるものだった。笑顔の全くない結婚会見、ということもあるが、人権と言葉の関係に深い問題提起をしたという意味で歴史的なものだったように思う。週刊誌が火をつけSNSに引火して大炎上する、という構図はここ何年もいやというほど見てきた。芸能人が不倫したとかオリンピックの組織委員会がどうしたとか、あとになって考えればなんであんなバカ騒ぎを、と思うくらい、だいたいはしょうもないこと。不法行為や不正行為なら暴いて裁きを受けさせる意味もあるけれど、大概は公益性のないプライベートマターを、それこそ匿名をいいことにあることないことSNS上でボコボコに言う、もしくは「言っていい」ような風潮にはずっと嫌悪感と忌避感があった。当たり前だ。そんなもん表現の自由でも言論の自由でもない。言葉が武器化している。銃刀法という法律があるように、言葉が武器化するのなら、人権を守るという視点から当然規制が必要だと思う。そもそもヤフコメにせっせと書き込む人間はいったいこの日本に何人いるのだろう。数万人もいるのだろうか。いずれにしても人口規模からすれば屁のような数の人間が垂れ流す毒は人生にとって全く無用で不要だ。Yahoo!などはもっと考えたほうがいい。デジタルネイティブの若い世代は生まれたころからこうした「炎上」を目の当たりにしてきているので、思ったことは簡単に他人に表現してはいけないのだという観念があるらしい。そうだとすれば、本当に由々しいこと。夢は思いを言語化することから始まる。言語化をさせないツールがSNSなのだとしたら、そんなメディアは要らない。