開祖

山陽新幹線が全線開通し広島にも新幹線が止まるようになった1975年(昭和50年)3月、中学2年に上がる目前の僕に夢枕が立ち、あの3年連続最下位の弱小カープがなんとその年「セ・リーグ2位」になるという「お告げ」があって、「それってほとんど優勝じゃん」と大きな勘違いをした少年はその日からカープの戦績記事を毎日クリッピングしてノートに貼っていったのでした。そうしたら、なんとその年、球団創設26年目で初優勝、しかも巨人を倒して。「ジャイアントキリング」というのはカープのことだとしばらく真面目に信じていました。そのクリッピングは今も家宝のように大事にしています。もう古文書みたいになっていますが。そのハイライトはもちろん古葉監督の胴上げ。当時まだ40歳前の青年監督でした。昭和50年を境に広島人のカープ熱は野球ファンではなく全県で共有され今に至るのです。間違いない。そういう意味で古葉さんは「開祖」のような存在。「昭和50年10月15日午後5時18分@後楽園球場」は、いついつまでも脳の深いところに刻まれています。古葉さんには本当に感謝です。合掌。

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