1.17

阪神淡路大震災から27年。1995年1月10日付けでマツダを退職した僕は、あの日、次の勤務先の関西電力の社宅を見に広島から神戸に向かう日だった。神戸が大地震に見舞われたその瞬間、広島も震度3の揺れがあった。今考えると信じられないが、地震を伝える6時台のNHKのニュースは大阪のスタジオからだったがよもやそんな大災害が起きているとは一言も言ってなかったので、6時台に予定通り広島の実家を出て広島駅に向かった。新神戸行の乗車券を握って寒風吹きすさぶ広島駅の新幹線のホームで新幹線を待ったが博多から着いた新幹線は広島で折り返し運転を始め、待てど暮らせど広島から東に向けて新幹線は出発しない。1時間くらい待ってようやく「旅行を中止してください」のアナウンスがあって仕方なく家路についた。タクシーの車中のラジオで神戸が大変なことになっていることを初めて知った。実家に帰ってテレビのニュースで神戸の惨状が次々入ってきた。もうお昼近かった気がする。当時はスマホはおろかネット環境なんて普通の人にあろうはずがない。災害状況をリアルタイムで知る手段がなかった。そういう時代だった。いま振り返っても、阪神高速が倒壊し新幹線の高架も一部落下し商業ビルが倒壊したという弩級の都市災害。昼間の地震であれば桁が2つくらい上の死傷者が出ていたはず。その中にはその日神戸にいるはずだった僕も含まれていたかもしれない。命拾いしたという感覚はこの日がくるたび蘇る。

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