いったいいつから...

安倍さんの国葬儀がもめているらしい。昨日は国会の閉会中審査で岸田首相が説明したとニュースになっていた。最近新聞もテレビもちゃんとみてないので、何がそんなに国論を二分するような騒ぎになっているのか皆目理解できない。僕の理解は、日本の政治史上、あんなに国際政治の舞台で主役級の存在感と役割を果たした政治家はどう考えてもいないわけで、まだまだ役割を世界から期待されていた現役政治家が突然テロで亡くなった。当然世界中から哀悼の意が表された。この世界中からの弔意を日本として受け止め、海外からの要人を招いて国としてちゃんとした葬儀をするのは、国際政治におけるひとつの正しいプロトコールという観点からいえば、国益にちゃんとかなうし、国としてのある種の品位、徳を示すという面からも、僕は今回は当然国葬でいくべきだと思う。テロを許さない、暴力を許さないという国民的な価値観を世界に示す場になるという意味でもこういう機会は大事だ。それ以上の議論がいるだろうか。先の大戦で国策を間違えたのは世界との付き合い方だ。地政学的に悪の枢軸国に囲まれ続けてきたこの国は、これまでもこれからも、世界から必要とされ大事にされ尊敬されることで存続し続ける。これが国益だ。我々は世界に価値観を発信しつづけるべきだ。今回の国葬儀はそういう意味で絶好の機会でもある。葬儀は万国共通、おつきあいの基本だ。やるべきだし、やるならちゃんとやるべきだ。国内の議論で、自分が安倍さんが好きだ嫌いだ、そんなことは本件のイッシューでは全くない。葬式行きたくなけりゃ行くな。それだけだ。弔意なんて誰も個人に強制していない。かかるおカネが10億、20億円、それが高い安いなんて国事行為でそんなこと議論するか。そんなものは実施者の専管事項、財布持っている人に任せればいい。いったいいつからこんな国になったんだと思う。SNSが生活の真ん中に来てからか、みんな言いたい放題になった感がある。「便所の落書き」は昔は便所にしか書いてなかったが、いまでは便所の落書きをスマホを通じて四六時中浴びるように見せられる時代になった。「とてもこんなこというやつとは一生通じ合えない」というネガティブな感情が一瞬湧き上がる。かくして、我々の中での「分断」は確実に進むのだろう。

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