東大阪と飛行機

朝ドラ視聴に半年ぶりに復帰。今度のは面白そう。東大阪には新入社員のとき「販売研修」というやつで半年ほど住んだ。販売研修というのは文字通り「クルマを売ってこい」というもので、縁も所縁もない東大阪のディーラーに放り込まれて毎日毎日あの町を歩いた。今と違って当時は訪問販売が基本。カタログをやまほど鞄に入れてきょうはこの辺とエリアを決めて片っ端から個人宅も工場も片っ端から訪問した。売れるわけない。生まれつきアタマでっかちの僕はこの非合理な仕事から逃げ出したかったが、やるしかなかった。待望の1台目は自宅で旋盤など金属加工をやっているおっちゃんだった。ファミリアバンだった。あとで聞いた話で、そのおっちゃんの息子もその年就職したらしく、僕をみてかわいそうになったのか同情したのか、とにかく買ってくれた。支払は現金だった。預かった現金の札束を数えもせず鞄に入れた僕を「ちゃんと数えんかい。商売の基本やぞ」と怒られた。東大阪は河内弁。とにかく言葉の風圧が僕にはきつかった。初対面の人に「オマエんとこのな、クルマはな」と言われて「オマエっていま初めて会った僕のことですか」と何度も聞き返そうになった。飲んでないとやってられない日々だったので、随分カラオケにも行った。おかげで美声に磨きをかけることができた。東大阪は飛行機が伊丹空港に侵入するアプローチ線上だったのでいつも着陸態勢で低空を飛ぶ飛行機を見上げていた。東大阪と飛行機。ドラマとは全く違う文脈だろうけど、何気に僕には刺さった。38年も前のことなのにいまだに強烈で新鮮な記憶。

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