一線

和歌山の首相暗殺未遂事件は時間の経過とともに「ギリセーフ」的状況だったことがわかってゾッとする。どういう人物像だったのかまたぞろワイドショーや週刊誌が暴き立てようとしているが問題はそんなところじゃないよね。ああやってフツーの子が組織に属さなくてもネットの知識で爆弾作れちゃうんだなぁというところが本当に怖い。今回はターゲットが首相だったからこういう騒ぎになっているが、銀座や新宿や山手線の駅等都会の雑踏で同じことされたら死傷者の数はすごいことになる。文字通りテロ=恐怖だ。昔は爆弾づくりも組織的だったので公安も組織をマークすることで未然に予兆をキャッチできたのかもしれないが1人でネットベースでやるのを感知するのは無理だ。爆弾系のサイトの閲覧者を何らかの方法で抽出して逮捕拘束取り調べるのはもっと無理だ。中国やロシアと同じになってしまう。そう、もう無理なのだ。できることは刑法改正してこうした社会に対するテロ行為を重罪に定義して重罰を科すくらい。それでも発生した被害は埋め合わせできないが。スシロー事件でもそうだが、なんでこうやすやすと「一線」を超える子たちが次々出てくるのだろう。いわゆる社会の規範とか法規範とかとは別世界に生きているとしか思えない。事実そうなんだろう。うちの妻がいわゆる「学童」の仕事でこの1年毎日のように学校に行っている。その話を聞くたび驚くことばかり。先生が何かいう/すると、10歳にもいかない子たちに「センセー、それパワハラだよ」とか指さされるらしい。先生たちは「抑止」のためであっても手も口も出せない。社会のルールや人間としてのあるべき道をたたき込まれるべき時期にいまの学校教育現場は本当に無力なんだなぁと知った。それでも大概の子は家庭教育のよろしきを得てちゃんとした大人になっていくが、ときどきそうでない子たちは不全感、自己否定感を抱えこみ、やがて社会に包摂されるよりは孤立、孤独化していく。合成の誤謬という言葉があるが、ひとつひとつのピースが間違いというわけではないがあわせてみるととても間違っているということの典型かもしれない。

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