子育てについて改めて考えた

今さらながら、遅まきながら、子育てというのは本当に大変だなぁと今回身にしみて思った。僕にも息子が2人いるが、就学前から就学時はちょうどアメリカから帰国した時期。帰国とほぼ同時に円高が進み、クルマの輸出関係の仕事に就いていた僕は連日仕事に忙殺されていた記憶はあっても育児や子育てに関わった記憶がない。妻に丸投げしていたのだと思う。それが許された時代だった。自身のキャリアを犠牲にして育児、子育てにフルコミットしてくれた妻には改めて深く深く感謝せねばならない。いまごろ遅せぇよという話だが。長男が生まれたころにはなかった消費税がいまや税率10%になり、高齢化の進展とともに社会保障の負担率も爆上がりした今日にあっては現役世代の負担は僕らの時代とは比べ物にならないくらい重い。2馬力を前提にしないとちゃんと家族を養っていけないというのは本当にそうだろう。だから保育所とか学童保育とかにもっと社会の資源を割くべきというのはそのとおり。単に預ける場所があるというだけではなく、そこで家庭保育に代わる「体験」が必要だ。今回孫をみてて思ったが、子どもは時々刻々成長する。多くのインプットを得つつ、常にアプトプットをして学んでいる。「生きている」「成長している」ことを実感した。だからこそ、体験と教育が大事なんだと思うが、ここに「質」の話を加えると各段に話が難しくなる。はっきりしているのは、教育に関わる/支える側の人へのもっと思い切った資源配分なしには、いくらきれいごとを言っても所詮絵空事だということ。それくらい現実は厳しい。高齢者に手厚い/手厚すぎるいまの政治や社会のあり方から変えないとこの国では子どもが減り続けるということは肌感覚として理解できる。

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