卒業10年

今年は僕がソニーを卒業してちょうど10年になる。日本経済新聞の「私の履歴書」の4月は2012年~2018年にソニーの社長を務められた平井一夫さんが執筆された。平井さんはまさにソニーの「どん底」期を指揮された。平井さんの文章からは当時のいろんなことがリアルに思い出されて僕は毎日の記事をむさぼり読むように読んだ。

平井さんが社長に就任した2012年は確か株価が1000円を割り込んで時価総額も1兆円を切ったのではなかったか。ソニーは中国に買われてしまうのではないか…社内にはそんな緊張感とある種の恐怖感が漂っていた。社内の空気は淀んでいた。決して誰も仕事をサボっていたわけではないが、どうしもこうにも結果がついてこない。後講釈ならなんでも言えるが、いま考えれば、みなが守りに入っていた。ソニーは伝統的に製品を軸にした事業部制。製品を中心に技術/エンジニアが配置され、僕らのような間接/バックエンド組がそのエンジニアを支援する形。事業部は家族のようなものだった。家族は団結する。ハワード・ストリンガーがCEOに就任したとき「サイロ」と称したのも的確な例えだった。それも「強固な」サイロだった。みんなそれぞれのサイロに籠城した。サイロの数も種類も変わらぬまま「根競べ」が続いていた印象だった。

空気が変わったのは、やはり平井さんの「私の履歴書」にもあったように、吉田さん/十時さんがソネットから呼び戻されたころだったと思う。電光石火のように「VAIO」の売却が発表された。衝撃だった。早期退職制度も発表された。「よりよいソニーを次世代に残そう」- シニア層に世代交代を促し呼びかる、シンプルだが心に刺さるメッセージだった。「そうだよな、大好きなソニーがよりよいカタチで残ってほしいよな。」多くの人が2014~2015年にソニーを去った。僕もその一人だった。

僕らが退職した後の2018年には吉田さんがCEOに就任、エレキ(電機製品事業)からゲーム、音楽、映画に怒涛のポートフォリオの変革が始まった。M&Aもどんどん行った。何よりもソニーは誰の何のためにあるのか、会社の背骨というべき「パーパス」を吉田さん自身が自ら筆をもって社員とともに真剣に考えたという。やっぱ、会社は経営者なんだよな。ソニーの10年を外からみてそう思う。

思えば、井深さん盛田さんの創業世代のあとソニーの経営の指揮を奮ったのは常に変革者の登用だった。音楽家だった大賀さん、末席常務から蛙飛びで社長に就任された出井さん、VAIOを成功させた安藤さん、ソニーアメリカの会長で放送業界にいたハワード・ストリンガー、プレステからソニー本体を指揮された平井さん、そして本流そのものでありながら、ずっとソニーの外で腕を磨いた吉田さん、十時さん。誰一人「本社一筋のエリート」はいない。外の世界を知り、中のサイロに立ち向かってきた人たちだ。こういう変革者をトップに選び続けることができるソニー。すごいDNAだと思う。

ソニーを卒業して10年。ソニーのことをS・O・N・Y(エスオーエヌワイ)と僕たちは呼ぶ。どこにいても何をしてもS・O・N・Y(エスオーエヌワイ)に恥じないよう生きてきたし、これからもそうありたいと思う。

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