終身雇用
きのうの「おはよう日本」の番組の中で「沈む中流」というミニ特集があって、大手企業に勤めていた人がインタビューされていた。その人が言うには、要するに定年時の退職金が思っていた以上に減ったので、退職後の生活が中流を維持できない、と。会社に一生懸命尽くしたのに、オレの人生そんなものだったのか、という恨み節付だった。あほくさ。NHKもNHKで典型的な「ステレオタイプ」のまとめ方ではあるが、なんか聞いてて腹が立った。ま、その人の人生だからそう思っているんだったらそれでもいいが、結局、人間40年もひとつの会社に依存していたら「こうなる」ということだ。僕も終身雇用が当たり前の時代に会社に入り、結局都合4社も渡り歩く人生になって1社に終身勤務ということはついぞなかったわけだが、世の中、1社で定年まで勤めあげる人生を送る人が大多数だ。そのほうが立派だという価値観も世間ではいまだ大勢を占めているが、僕はそうは思わない。世界を見渡してこんないびつな雇用/勤務慣行がある国はない。絶対にない。そもそも同質性が高く流動性が低い国ではあるければ、「賢い人」を20そこそこで雇入れて、40年も囲うことに何のメリットがあるのだろう。日本企業が活力を失ってきたのは、まさにこの同質性、有為の若い人材を世間を知らない井の中の蛙状態にして飼い殺してきた雇用慣行そのものにあると僕は思う。50代、60代で企業のトップにいままさに立っている人もだいたいはずっとその会社で生きてきた系。いわば同質性の権化でたまたま最後まで運よく生き残った人たち。そんな人がえらくなって急に「多様性が大事」とか「変化に対応して」とかいうこと自体が噴飯ものだ。終身雇用はもう維持できないと経団連のトップが数年前に言い出したのはいいことだけど、どうせやるなら、「1社10年まで」とか強制ルールを創ればいい。限られた時間の中でいかにそこで学ぶか経験するか、強制退社の仕組みがあれば、内部の長期の人間関係を前提にした忖度べースの「クソ仕事」も減るだろう。企業は「パーパス」を高く掲げておけばよく、そこに共感し、能力のある人が出入り自由で集えばいい。