情緒に左右される国民性
Facebookにオリンピアンの為末大さんがなるほどな投稿をしていた。「私は日本のスポーツ報道に一つだけ不満があって、それは科学やデータを重視する観点が欠けていることです。(中略)報道では羽生選手の人的魅力も彼の内的葛藤の苦しみも伝わりますが、一体地面のどこにどの程度の力が加われば四回転半跳べるのか、着地前にどのような姿勢であれば着地できるのかなどはわかりません。またトリプルコークも同じです。すごい、前人未到であるというのはわかるのですが、要するに統計的に見てどのような話なのか(100mであれば何秒に当たる外れ値なのか、記録の進化速度から見てどういう違いがあるのかなど)が説明できなければ、すごい感動したという印象以外が残りません。(中略)科学的で冷静な分析は一部の人にしか見られず数字が取れないので、誰にでもわかる情緒的な報道に偏りがちで、結果として国民全体が数字より情緒に左右されてしまっている傾向があるのではないでしょうか。」 まさにその通りだな。そして情緒に左右されまくる自分のことも猛反省です。「困ったときは犬か子どもの映像を流しておけ」的なテレビにいまさらまともな期待をしても仕方ないけど、情緒に左右されてまくってきた国民性という視点はやはり忘れてはいけないと思う。