栄枯盛衰②
きょうも「自動車の栄枯盛衰」関連。僕の古巣であるマツダの創業100周年のサイトをたまたま覗いたら創業からの生産台数の変遷のグラフがあった。自動車産業はなんだかんだ台数が命。このグラフを見ると、マツダという会社の喜びと苦しみがまざまざと浮かび上がる。僕が生まれた1961年の生産台数はわずか16万台。途中オイルショックによる停滞の年があるものの生産台数は右肩上がりで伸び続けている。そして広島という大きなコミュニティの繁栄もマツダの活況によりもたらされた。そしてバブル絶頂の1990年、あの「ル・マン」でマツダが優勝した年、米国生産は前年に始まっていたが、まだ国内生産→輸出のテッパンの事業モデルでやっていた時期、防府工場を含めた国内生産台数は実に140万台を超えている。そこがピーク。そしてその後「塗炭の苦しみ」の時期に突入する。グラフで見ると国内生産は最悪期の2001年の国内の生産台数は80万台を大きく下回るレベル。最盛期の約半分だ。その翌年、いまにつながる新ブランディング「zoom-zoom」が始まり、そこからマツダは不死鳥のような奇跡の復活を遂げる。2019年のグローバル生産台数はグラフで見る限り過去最高だ。しかしながら広島の生産台数はもはや往時には戻らず、牽引したのは海外生産だった。頂上にマツダ、傘下に数多の部品メーカーを擁する自動車の町・広島。この会社が稼ぎ出す巨大な売上・海外含めた巨大な生産規模が60年にわたってこの町の仕事・雇用・生きがいを支えてきた。やっぱり日本で稀有な企業城下町の栄枯盛衰の大ストーリーなのだ。