政令都市10年

熊本市がこの4月で政令都市になってから10年経つという。きょう熊日朝刊で知った。熊本市は人口74万人、福岡市、北九州市に次ぐ九州第3の都市。江戸時代から薩摩に目を光らせる最前線として巨大な城が築かれ、細川藩54万石の中枢都市として発展してきた。明治になると「鎮台」と呼ばれる拠点軍隊組織が置かれ、西南戦争はじめ明治初期の動乱鎮静に役割を担った。鎮台廃止後は陸軍第6師団が置かれ九州随一の軍都として繁栄した。そういう意味では明治以降の発展の経緯は広島と非常に似ている。軍都ということは首都東京との人材の往来が活発で、また人材育成の拠点もあったということ。師範学校があったのも広島とよく似ている。NHKのコールサインをみても熊本は5番目だ。(JOAK=東京、JOBK=大阪、JOCK=名古屋、JOFK=広島、JOGK=熊本)「九州大学」も最初は熊本に置く方向だったと聞いたことがある。戦前期において熊本が日本という国において重みというか役割があった都市だったかがわかる。それが戦後、軍が解体され経済の時代になりかつての軍都は没落した。熊本の地盤沈下の規模とスピードは想像に余りある。10年前政令指定都市になったのは、前年の九州新幹線の開業による「ストロー効果」でさらに熊本が衰退することを恐れてのことだと熊日に記事にはあった。さもありなん。爾来、熊本市は都市基盤整備に躍起になって、僕がこの街と縁ができたこの7年でも驚きの変化を遂げている。そして、今回の菊陽町のTSMCの進出。熊本市内に工場が立地するわけではないが、これは熊本市の復権に向けた、願ってもないスプリングボードになるはずだ。

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