納得できない交代劇

きのう書けばよかった話であるが、ロッテの佐々木朗希投手が一昨日の日曜日、2試合続けての完全試合目前の9回に交代させられた件、意外にも監督・ベンチのこの決断を尊重する意見が巷に多く驚いている。2試合連続の完全試合なんて聞いたことがない大大大記録。なんでそんな歴史的な快挙の芽をベンチは摘み取ったのか。球数が100球を超えていたとか、佐々木に明らかな疲労が見えたとか、長いシーズンのコンディションに配慮したとかいろいろ後講釈がつくが全く納得できない。一番僕が不満で疑問なのは「ベンチは本人に続投の意思を聞いたのか」ということ。選手は当然チームが勝つためにやっているが、同時に個人記録をかけてやっている。こんな空前絶後の記録を目前で摘み取る権利が果たしてベンチにあるのか。穿った見方だけれども「そないブンブン投げてたら肩壊してまうぞ。先は長いんやから。きょうはまぁこのくらいでええやろ。お前ひとり目立ちすぎてもアレやし。みんなで野球やってるんやし。きょうはご苦労さん」的な匂いを感じてしまう。元来、「野球」はアメリカのベースボールと違って極めて「昭和」なスポーツだ。監督が絶対。昔は暴力もしごきも日常茶飯事だった。勝つために選手に絶対服従を強いるスポーツの典型だった。そして「起立!気をつけ!前にならえ!」の号令大好きな日本の学校教育と親和性がすごくあるスポーツだった。そもそも日本的学校教育の下では「君はどうしたいか」が問われることはついぞない。聞かれなかれば考えるはずもない。日本社会や組織に巣食う「盲従」と「同調性」は古い昭和の学校教育の悪しき遺産だと、僕は別に昨日今日ではなくずっと思ってきた。いまごろになってやれウェル・ビーイングだとか働き方改革とか言われだしていろいろやるが、でも結局それを阻害するものは「自己決定できない個人」「自己決定を許さない組織」、まさに日本の悪しき学校教育の結果だ。このロッテベンチの今回の(僕にとっては)信じられない交代指示と世間の反応をみて、ダメだこりゃ、と問題の根深さを改めて思い知らされたのでありました。

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