孤独という罠
昨日の日経朝刊オピニオン欄「孤独が支えるトランプ現象」の記事に目がとまった。アメリカでもこんなに「孤独」化が進んでいるのか。以下抜粋「米ハーバード大学のロバート・パットナム教授は00年の自著で、米国の市民が「孤独なボウリング」を強いられているようだと評した。スポーツや娯楽、宗教・慈善活動を通じて人々を結びつけるコミュニティーの衰退が1960~70年代に始まり、人的な絆の強さを示す「社会関係資本」が低下していると訴えたのである。パットナム氏が警鐘を鳴らした社会的な孤立は深まるばかりだ。一人暮らしの世帯はいまや全体の28%を占める。米アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)と米ギャラップの調査では、親しい友人が全くいないと答えた成人の割合が、90年の3%から2021年には12%に上昇した。(中略)行動制限を伴う新型コロナウイルス禍はこれに拍車をかけた。米シカゴ大学の調査によると、孤独を度々感じる成人は、18年の9%から20年には23%に上昇した。孤独を時々感じる成人も含めると、23%から50%に高まっている。」日本で「孤独死」という言葉が登場したのはもう何年前だろう。僕の母も父が亡くなってからずっと独居。もう12年以上だ。親しい友だちが一人また一人と亡くなっていくので最近は不安を訴えるようになってきた。テレビでカープと相撲を観る時間がとても大切とよく言うのは、母にとって画面越しの熱気や感動、共感が、数少ない「つながっている実感のある社会」なのだろう。最近読んだ本「70歳が老化の分かれ道」(和田秀樹著)が面白かったが、その本では70歳過ぎても仕事を続けること、社会と関わっていくことが決定的に重要だと書いてあって、なるほどなぁと思った。僕も60になり、会社というコミュニティもなくなり、意識しておかないと簡単に孤独側にいってしまう。実感としてそう思う。
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220419&ng=DGKKZO60092450Y2A410C2TCR000