君の声が聴きたい
きのうはNHKでは終日「君の声が聴きたい」キャンペーン、とにかく子ども、若者の考えに耳を傾けようという企画の日でいろんな番組をやっていた。ユニセフの調べでは日本の子どもの精神的幸福度が先進国38か国中下から2番目に低い!というくらい、いまの日本の子どもは精神的に追い詰められ圧迫されている、らしい。僕の「子育て真っ只中」はいまから30年前。子育て卒業からも四半世紀近くが経過した。皆、それぞれ家庭環境、子育て環境が違うので一概には言えないけれど、昨日テレビ観てて思ったのは、日本もいよいよ深刻な分断の時代に突入したのだなあということ。僕らの頃は社会全体が単一価値観というか、いい学校、いい会社に入って終身雇用の中で家庭を築き収入を漸増させリタイアしたらほど亡くなる、といういわば超シンプルな「人生のモデル」みたいなものを皆が信奉していた時代で、いまのような「情報化社会」では全くなく、僕らは「親の言う通り」「先生の言う通り」するしか選択肢がなく、しかし、言う通りにしていればある程度報われる時代でもあった。若干乱暴な整理ですが。いまは違う。うちの3歳の孫はおもちゃよりスマホ、YouTubeを欲しがる。驚くしかない。情報を浴び続けて世の中にはいろんな面白いこと、クールなこと、素敵なことがたくさんあることを部屋にいながらにして知ってしまっている。「俺のいうことを聞け」の塊のような家庭、学校、会社が面白いわけがない。「ばかばかしいことはまっぴらごめん」という意味のことを英語でno-nonsense(ノー・ナンセンス)というが、いまの子が訴えたいのは要はそういうことではないのか。事実、日本の社会はナンセンスなことが多い。いくらテレビがSDG’sを訴えても、日本の社会自体が全く多様ではない。単一民族、みんな同じ言葉、同じ法律、同じ中央政府、同じテレビ番組の中で、極めて同一性の高い社会を開闢以来築いてきた。多様性なんて実感できる場面は実際の社会にはない。世界の変化、価値観と無縁で、テクノロジーの変化にも追随せず、昔の昭和の価値観に支配された人たちが学校や会社を仕切っているとしたら、それと全く違う価値観の子たちが窒息しそうになるのは、むしろそっちが普通だ。ユニセフの調査は、子どもたちがどうかしちゃっているのではなく、むしろ僕らの社会がどうかしちゃっているという風に考えたべきなんだろうなと思った。