好きなことを深める時代
この1年環境が大きく変わって、初めての場所、知らない人に会う機会が増えた。自己紹介をする機会も増えた。趣味を聞かれて困るというか何を言おうか/書こうか躊躇するのは相変わらず。これまで60年生きてきて、これといって自慢できる趣味はない。10年前は一眼レフで写真を撮るのが楽しく写真撮るために旅に出るくらいだったが、慌ただしく過ごす間にいつの間にか一眼レフからは遠ざかった。そんな僕でも子どものころは熱中したものはいくつかあった。絵を描くのがとにかく好きだった。新聞の見出しの得意な文字を模写する「レタリング」と言われるようなことも黙々とよくやっていた。あと切手収集。集めた切手を「ヒンジ」と言われる乾燥糊付の小さな紙片で専用の台紙上に固定、そして、その切手にまつわるストーリーを百科事典等で調べて台紙の上に見栄えよく書き込む。ちょっとした図鑑の制作のようなことを小学校の高学年~中学にかけてかなり熱中してやっていた。昨年引越のときにその古い切手図鑑的アルバムが出てきたので久々眺めたが、子どものつくるものにしては我ながらよくできていて感心した。子どもの頃からの熱中癖や美的にきちっとまとめる編集的な作業癖は何気にいまの仕事に引き継がれているのかもしれない。それにしてもやっぱり趣味が多彩でなんでも深く掘り下げられる人をみると無趣味な僕はとても羨ましい。50年前の教育は、本業は勉強。テスト、内申書、受験、進学… 趣味にあまりかまけていると成績が下がるといわれ、親や先生に認められるのはとにかく「勉強」だった。僕は一発勝負のテストや受験には結構強かったので、こういう価値観の時代をなんとかここまで生き延びてこれた。しかし今は違う。子どもも大人もむしろ好きなこと、得意なことを深め、極め、動画で発信できる時代になった。ゲームに没頭している少年はゲームクリエーターになって若くして稼ぐことができる。YouTubeはいまやそのことにかけては誰にも負けない若い専門家があふれている。20年前、インターネット時代はコンテンツの時代、セミプロで溢れかえる時代になるという議論をしていたが、こういうことだったのか。今なら「勉強なんかしてないでもっと好きなことをもっと深めなさい」という「指導」がたぶん正解なのだろう。学校が崩壊するのも納得がいく。さて、僕は何を深めようか。あと人生は何十年もある。たぶん。