プラチナキャリア

きのうある勉強会で、「プラチナキャリア」という言葉と取組みを知った。人生100年時代、年齢を問わず自己の成長や所属する企業の発展、ひいては社会課題解決を目指し、自律的に学び、経験を通じてスキルを磨き、得られたスキルを存分に活かして活躍していくキャリアのことを指すそうで、三菱UFJ信託銀行が厚労省の後援を得て「プラチナキャリア・アワード」なる賞まで創設して、こうした考えや取組みを企業に啓蒙普及させるべく取り組んでいるそうだ。銀行発の取組みだというのがやや意外な感じもするが、それはともかく、考え自体はその通りで多いに共感するし是非そういう世の中になってほしいと思う。前もどこかで同じようなことを書いたかもしれないが、日本は60年代の高度成長から急速にサラリーマン全盛の時代になり、どこかの会社に入って長ーく務めることで、給料が上がり、所帯を持ち、子育てをし、自身もいろいろな経験を会社の業務を通じて広げ、最後定年とともに老後資金である退職金を手にし、文字通り、企業に守られ育てられ人生を形成するというモデルが定着してきた。会社を辞めて以降の人生が10年ちょっとしかなかった昔はそれで本人も家族も十分だったしたぶん幸せだった。しかし、いまは定年の60歳のあとに20年、下手すりゃ30年超の人生がある。「もう一周!」くらい長い。定年が「上がり」ではなくなったというのがそもそもの混乱の始まりだ。自分自身のことをいえば、昨年の独立以来、知ったこと、気が付いたことは数えきれないほど多い。何よりも、38年間、毎月給料が銀行口座に振り込まれるという生活というかあり方がいかにありがたいことかを身に染みて思う。いま自分が自分の全能力を総動員して稼がないといけなくなってマインドセットが変わった。自分は自分は誰かの問題解決に役立つべき商品である。商品である以上、ターゲットとターゲットの問題を定義しないといけない。商品である以上、それを告知・プロモーションしないといけない等々。まだ何もできていないが、そういうことだということはこの歳にしてようやくわかった。もっと早く知っておきゃよかったとも思う。いずれにしても給料を誰かからもらう生活では決してたどり着かない境地だ。どっちがいいとか悪いとかの話ではないが、職業人人生(キャリア)がこれまでの40年弱から50年、60年とうんと伸びるのなら、そこを生き抜くにはやはり多様な経験と実践ということは絶対条件だと思う。一つの会社、均質な企業文化と仲間どおしで同じ釜のメシを40年近く食い続けるのは、もはやナンセンスだとすら思う。

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