77回目の終戦の日
きょうは77回目の「終戦の日」。僕自身にとっては60回目。今年はウクライナ戦争のせいで、より深くこの日のことを考えざるをえない。石油を止められ物資が枯渇し完全に「干上がった」状態で3年半も戦争を継続し最後は街という街を空爆され50万人もの人が命を失い先人から受け継いできたはずの歴史ある町並みが殆どなくなった。「東京裁判」がなくとも後世の僕らはこの戦争を遂行した指導者を憎むべきであり罰するべきだとずっと前から思ってきた。他方で「敗戦」という状況を受け入れたくない/受け入れられないという心理が戦争を継続させたということにも、今年のウクライナを見ていて気がついた。日本は昭和20年8月15日以降アメリカの占領統治下に置かれたが、アメリカの対ソ対抗の思惑があった「おかげ」で極力国力を温存する方向で総じて教育的で寛容的な方法で統治されたのだと思う。敗戦とは、ドイツや他国の例をみても、国境線が変更され、国土が複数に引き裂かれ、他国に併合され、私有財産である土地建物が強引に収奪され、生活は蹂躙され…激しく過酷で陰惨なもののはず。しかし実際は沖縄以外はそうはならなかった。もうひとつの例外は満州だ。ソ連が終戦間際のどさくさで攻め込み60万人とも70万人ともいわれる人々をシベリアに連行しそのうち5万人が亡くなったとされる。悲惨だ。「終戦」という、何か第三者的な響きのする言葉。そして異常に寛容だったアメリカの統治もあって、ひょっとしたら起きたであろう「敗戦」の悲劇を考えずに77年経ったような気もする。敗戦は絶対いやだ。だから戦わない、絶対に他国に侵略しないというのは当然だ。しかし他国から侵略や攻撃されるのもいやだ。クライナで蛮行を繰り返し史上最悪の独裁者スターリンを再評価するロシア。軍事演習の名のもとに台湾を囲んでミサイルの試射を繰り返す中国。もうほんとに「ほぼ有事」「元寇前夜」のような状態で迎える77回目の終戦。広島で生まれ「平和教育」をたくさん施してもらった僕だが、ここに至っては、丸腰で能天気な政府と日本人が心配でならない。