小規模事業者支援の歴史②

(きのうからの続き)2014年の小規模基本法成立から、小規模事業者支援のあり方が変わった。そういえば、というか、どこまで意図されたものだったかは知らないが、「消滅可能都市」リストが公表され、「地方創生」が内閣の目玉政策として大々的に打ち出されたのも2014年。インバウンドを大幅に増やすぞ、の政策もその頃だったと思う。小規模事業者を巡る外部環境に追い風が吹き始めていた。たまたまだが、僕は2014年度末を以て(2015年3月)20年近く務めたソニーを早期退職して熊本・阿蘇、今の自宅に移住した。リタイアする歳ではなかったので福岡かどこかの中小企業に再就職しようかと当時は安易に考えていたがまさかそのとき自分がこうした支援に職業として関わるなんて思ってもみなかった。そして1年後、大地震が熊本を襲った。小規模事業者を持続させる、廃業させてはならないという、まさに小規模基本法の精神がフルに発動されたのが「グループ補助金」だった。グループ補助金は311のあと東北で導入されたが不正利用も多く当時熊本では不正を誘発する「危ない」仕組みと警戒する向きもあったが、実際に熊本で起きたことは、商工会、商工会議所、よろず支援拠点等々熊本で小規模事業者の経営支援に携わる人々が被災地にフル投入され、結果、廃業の淵に立ったたくさんの小規模事業者がこの制度で救われた。僕もトーマツの立場で南阿蘇村においてこの補助金に深く関わった。僕自身の人生の転機だった。グループ補助金は結果熊本県下500のグループに対して都合900億円を超える国費が投入された。「私有財産は自己救済」の経済原則を超越した、おそらく世界に例を見ないこの補助金は、小規模基本法があってこその話だったのだと、今にしてすごく合点がいった。(続く)

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