いかに学ぶかを学ぶ

きょうの日経デジタル版の記事。以下引用「正解がひとつではないテーマについて考え、言葉にする。ものごとを疑いながら議論し、アイデアを発展させることを奨励する。… 学ぶ方法を身につけられれば、ずっと成長を続けられるというわけだ。」いつもスウェーデンやフィンランドは模範として取り上げられるが確かにいつも優れている。実際に僕もスウェーデンに住んだことがあるが、保守とリベラル、個人と社会、伝統と現代の調和が実にいいバランスな感じ。個々人かすごく賢い印象だった。長く戦禍が続いてきた欧州で、人口が1千万人にはるかに届かないいわば小国でありながら、しかもロシアという狂国がすぐ近くにいるという地政学的なハンディの中で、長く独立国として自国を維持するには、個人がこういう賢さと実施能力を兼ね備えていないと生き残れないということだと思う。日本も江戸時代の門閥身分社会の閉塞性を明治維新が打ち破り能力と意欲があればどこに住んでいようが勉強と学習によってのし上がり人生を変えられるという社会を長く作ってきた。国全体が若いときはそれがむちゃむちゃ機能したが、いつしか国も社会も個人も老い、65歳以上が人口の4分の1を占めるような国なってからはむしろ旧弊に固執し、変えない、変わらない人々が増えている気がする。高齢化した国では70とか75歳まで働くのはもはや宿命だ。「いかに学ぶかを学ぶ」は何歳になっても身につけねばならない基本的態度、人生観のようなものだと思う。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE2526C0V21C22A0000000/#k-think

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