1.17

きょうは阪神淡路大震災から28年の日。28年も早いが1年も早い。昨年は発災当日の思い出を書いた。この年僕は1月10日に11年勤めたマツダを退職、2月1日に次の勤務先である関西電力に入社することになっていた。ちょうどその端境期に地震は起きた。神戸付近で新幹線の高架が崩落し不通になり、広島から大阪には新幹線では行けなくなった。それでも大阪には行かねばならぬ。入社日の数日前だったと思う。通常なら1時間半ちょいで着く広島からの大阪行は結局1日仕事になった。広島からまず姫路まで各駅停車の新幹線に乗り、そこからローカル線の「播但線」に乗り換えた。それが新幹線不通期間の大阪までのデフォルトのルートだった。どう辿ったのか、どれくらい時間がかかったのか今となっては定かではないが、夕方の4時か5時くらいに宝塚市まで来た。宝塚で車窓風景は一変、昭和の団地と思しき4階建てくらいのそれなりの容積の建物がもんどりうって仰向けにひっくり返った光景が目に飛び込んできた。口があんぐり、とはそのことだった。驚愕の風景だった。非常に憚られる例えだが、ウルトラマンなど「特撮もの」でよくみた、壊れた町の風景そのものだった。次の日、大阪から、阪急電車がかろうじて動いていた西宮あたりまで行って街を歩いた。甲東園のあたりだっただろうか。通りに面した建物は軒並み1階部分が潰れて2階部分が地上に落ちていた。コンクリの粉末がパウダー粒子状に飛び散っていた。建物が一気に潰れたことをうかがわせていた。潰れた2階部分は水平には建っていないので、通りを歩いていると平衡感覚がおかしくなって気持ち悪くなりそうだった。スマホもデジカメもない時代。いちおうフィルムのカメラを忍ばせて出かけたが、撮ること自体が憚られ「撮ってはいけない」感覚に襲われ、結局1枚も写真は残さなかった。災害というものをテレビ越しにはなく初めてリアルに自分の目で見たこの2日の体験はいまも深く脳裏に刻まれている。

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