2040年の日本

先月上梓されたばかりの「2040年の日本」を読んだ。著者は野口悠紀雄先生。僕がまだ20代の頃から気鋭の論客だった。その先生が、日本経済、年金問題、メタバース、エネルギー問題、自動車の電子化、核融合・量子コンピュータ等々多岐にわたって、具体的に数字を示しながら、未来のありようを示す。その内容は、わかったつもりの僕でもとても暗澹とするものだった。特に日本経済の未来。いわく、中国は今後40年でアメリカを抜いて世界一の経済大国になる。そのGDPの規模は日本の10倍になる。中国のGDPがいずれアメリカを抜くことはもちろん知っていた。しかし、「日本の10倍」という言い方には後ろから殴られたようなショックを覚えた。先生は、だから防衛費が1%とか2%とか何か意味があるのか、と挑戦的なことをおっしゃる。でもそうだよなぁ。昔、中国のGDPは日本の10分の1かどうかは別としてとても小さかった。子どもの頃テレビに打ちしだされた天安門広場はクルマはなくみんな自転車に乗って移動していた。それを子どもながらに中国は貧しい国だと思った。日本の国がこれからみんな自転車に復帰するとかそういうことではなくて、GDPが10倍違うということはたぶん「こいつら貧しいなぁ」と子どもでも思うくらいレべチに違うのだと思う。たぶん彼らの財力をもってすれば日本の土地をまるごと買える。日本にはもう既に息子が後を継がなくて廃業清算に追い込まれる事業が数多あるが、土地付きで叩き売る事業なら中国人がほいほい買っていくだろう。中国は土地私有が認められていないので、土地を持つというのは憧れなんだそうだ。最近でも沖縄のどこかの無人島を中国人が買ったとニュースになっていた。それが大規模に起きるのだろう。元寇も神風で追い払った日本だが、今度は圧倒的経済力格差を背景にしたinvasionだ。江戸時代から明治時代の転換期にあって日本には文明開化、富国強兵、殖産興業という明確な国家戦略があった。いまの日本の国家戦略はあるか。人口減少、高齢化、そしてこの中国のさらなる富裕化といいう劇的な内外の環境変化を踏まえれば、本当にどうあるべきかの議論を本来はせねばならない。40年以上前に初めてG7サミットで日本がアジアから唯一参加を認められて、「西側」という耳障りのいい特権に酔いしれているうちに、いつの間にかそれが当たり前だと思ってしまっていた。国としてのピークは20年前にとっくに超えていたのに、なんとなく惰性でまだ自分らは一等国だと思っていた。しかし、ここからの下り坂はきつい。つらいことだが、本当に等身大でどうあるべきかを考えるべき時代に来たなぁとこの本を読んで反省方々つくづく思った。

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