空疎な政策
昨日の岸田首相の少子化対策に関する会見を生中継で見た。が、途中からなぜか聞く意欲がなくなったというか、集中力を欠いてしまい、途中でテレビを消した。先日のG7広島サミットの成功、防衛費増額、そして少子化対策。巷のいろんな批判を尻目に岸田さんは意欲的に次々大きなテーマに挑んでいる感。その意気やよし、であるけれど、ほんと、少子化問題だけはもう勝負あったというか手遅れというか、少々おカネをバラ撒いたところで事態は全くターンアラウンドしないと思う。いま子育て中の世帯に支援を分厚くするのは福祉政策として意味がなくはないというか、十分にあると思うが、それらをまた国民の負担増なしにとか言うのはまやかしというかポピュリズムの極みというかいまの政治の悪しき面だ。政策資源に限りがある以上、これまで手厚すぎた高齢者政策と逆に手薄すぎた子育て支援とのバランスの見直しは必須だろう。それはともかく少子化問題。俯瞰してみれば、我が国は22世紀には人口5千万人まで減るという方向に向かってまっしぐらだ。2050年ごろ人口が1億人を切ったあとの50年で人口はさらに半減、まさに地獄だ。もうこれが確実に起きるという前提で社会の仕組み、年金の仕組みをいまから変えていかないと大変なことになる。今朝、日経オンラインに載っていた記事は面白かった。(「子を持つことがリスクに」 強すぎる家族主義が重荷) この識者によれば、いまの若い人は、子どもを持ちたいけど経済的に無理で諦めている層と、経済力があっても子どもを持つことはリスキーだと考える層とがあって、どちらにせよ「子を持つことそのものがリスク」という価値観が広がっているという。子をつくるのは幸か不幸か僕らの出番はゼロで若い人だけが選択できる特権だ。若い人たちにこの価値観が共有されている限り、出生率は減り続けるだろうし、もっと下がるだろう。この歳になって自分に「子がいる」ことが自分のこの先の老後をいかに安心で豊かなものにしてくれるのか深く感じるし感謝する思いだが、それはそうなってみるまでわからない。そう教えてあげたい気もするが、もう余計なお世話かもしれない。22世紀にはさらに人口が減って江戸時代状態になるのかもしれないが、それもある意味日本民族の選択だったと思うしかない。そんなこと考えてたら、オレがなんとかするぞ的な昨日の首相会見は現実離れした話にしか聞こえなかった。