分断

自衛隊で18歳の訓練生が小銃で上官2名を殺害した事件。たった1年足らずの間に安倍元首相の暗殺事件、岸田首相の爆殺未遂事件、銀座の時計店強盗等々、異常としかいいようのない事件が「若者」によって引き起こされている印象があって、ついていけない。もちろん個々の事件は個々の事件で相互に関連性がないことはわかっているが、易々と一線を超えてしまったこれらの人々を見ていると、彼らが生きてきた環境が僕らが知っているものとはまるで違うのではと思う。思いを致すのはやはり「分断」と「教育」。貧乏な家庭は昔からあった。うちだって決して裕福ではなかった。でも近所があり学校があり裕福でない家の子女でもちゃんと教育される機会があった。学校の先生は怖かった。権威があった。翻っていまは分断の社会。自衛隊事件の家庭もコミュニティから孤立していたとの報道があった。家族丸ごと付き合いを断てば結局子どもを教育するのはその家の親。親たちに子どもを育てる力がなければ子どもの側は育ちようがない。そしてゲーム。子どもが子どもの側から社会とのつきあいを絶つ理由と環境は揃いすぎるくらい揃っている。こういう事件があると、僕もいまこう書いているように「信じられない/理解ができない」という反応に当然なる。理解しようともしなくなる。これが分断。そんな面倒な家や子どもと関わる動機と必然性がいまの社会にはない。学校はいつからか先生が生徒に怒っちゃダメ、な場になったらしい。孤立した子どもをいったい誰が教育するのだろう。「一線」がどこにあるのかわからないまま大人になった人たちによるこの手の事件はきっとこれからも増えるのだろう。

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