開拓移民の話

今朝の日経新聞日曜版「NIKKEI THE STYLE」は「2つの広島の物語」と題した興味深い内容だった。北海道・北広島にできた新しい球場エスコンフィールド。先月そこでプロ野球交流戦日本ハム対広島戦が行われ多くのカープファンが広島から北広島を訪れたというところから話は始まる。北広島は広島からの移民が開拓した町。しかしその具体的な話は知らない。きょうのエッセイはそのことを取り上げている。広島は明治以降北海道を始めハワイ、ブラジルなど全国的にも屈指の数の移民が渡った県だった。小学校のときそう教えられた。本当かどうか知らないがハワイの日系人は広島出身系譜の人が多く、中に入りなさいの意の英語の”Come in“が、「かみんさい」と広島弁風に発音されるという…ほんまかいなという話をむかぁし聞いたことがある。多くの開拓移民を送り出した広島県人気質には諸説ある。新進気鋭、チャレンジ精神が旺盛、ともいう。田舎で閉鎖的すぎる風土から逃れたかったという説もある。最近の人口動態でも広島はいまも全国屈指の流出県だ。誰あろう、この自分も流出組だ。エッセイでは、移民が多かった理由として別の説が提示されていた。広島に多い浄土真宗門徒。この宗教は殺生を戒め、怠惰や口減らしを忌避する教えだったので、広島では人口減少を招き暮らしは厳しくなった。そこで新天地に活路を求めざるを得なかった、と。なるほど、そうかもしれない。僕は港と海の影響ではないかと思う。海はなぜか知らない世界に心を誘うように思う。この宇品港を出る船はどこに行くのか。海の向こうには何かあるのだろう。何かそういう見えないものに惹かれる気持ちを広島の風土が育んでいる気がする。

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