一隅を照らす

昨日は朝熊本を発って空路上京、鎌倉にきた。6月に5歳を迎えたかわいい孫。本当は誕生日をいっしょに迎えるはずだったがいろいろあって叶わず、そのリベンジにやってきた。誕生日プレゼントを買うためだけの上京。むかしのバブル期の証券マンを彷彿とさせる豪勢な時間とおカネを使い方。わずか6時間の逢瀬。でも楽しかった。心は満たされた。夜は大学のゼミの友だちと大船駅前で呑み会。彼とソトでこうして呑んで語るのはいつぶりだろう。もう40年以上もこうして友だちとしておつきあいを続けてこれて本当に有難い。生まれも育ちも入った会社もその後のキャリアもお互い全く違うのに、あの大学でともに学びともに語り合った体験がものすごく大きなバックボーンになって、いつ会ってもすぐにお互いの状況を確認できる。有難いし稀有な存在だ。話はゼミの頃の話になった。僕たちが所属したゼミの先生は最高裁の判事まで務められた奥田昌道先生。もう90歳を超えておられるがいまもご存命である。ということはあのころはまだ50歳前後だったということか。不思議な感覚になる。敬虔なクリスチャンであられる奥田先生の授業は、法律の話からいつも脱線して「神」と「愛」の話になった。ゼミの卒業記念のトレーナーにはAmor omnia vincit(愛は全てに勝つ)と冠した。奥田ゼミらしい。4回生の秋、就職の相談にいったときに先生から「一隅を照らす」という言葉をいただいた。この言葉はキリストではなくて最澄の言葉らしいが、なにもみんなが殺到する人気企業に行かずとも、奥田ゼミの学生には社会のあらゆるところで力を発揮して輝いて社会の隅々を照らす人になってほしいというお話をいただいた。40年経ってもこの「一隅を照らす」という言葉は頭のどこかにあって僕を支えてきた気がする。昨日の彼もこの言葉は覚えていた。40年のサラリーマン人生ももうすぐ卒業して新しいキャリアに踏み出す彼。今度はどんな一隅を照らしてくれるのか。僕ももうしばらく頑張ろうという気持ちになった。

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