100歳からの復活

2020年に復活した豊肥本線(宮地⇔肥後大津)に6年ぶりに乗った。数鹿流崩れと命名された山腹崩落の現場の真下を通過するときはものすごい迫力だった。阿蘇高原線ともいわれるこの区間は調べたら1916年(大正5年)に開通している。そのちょうど100年後に熊本地震で不通になったことになる。知らなんだ。当時の土木技術の水準は知る由もないが、よくまぁあの難所に鉄道を敷いたものだと感心する。阿蘇が鉄路でつながったことで阿蘇は観光地として飛躍する。モータリゼーション前の阿蘇の駅は連日観光客で鈴なりだったとか。内牧の温泉街も大変な賑わいだった。彼らが一財産築いたのはその頃のことだ。鉄道は阿蘇に富をもたらした。肥後大津⇔宮地はいまも日本に冠たる観光路線。あのななつ星も立ち寄る。国費を投入してでも復活させた理由はよくわかる。この難所を客がいてもいなくても毎日毎日ディーゼル車を運行してくれているJR九州には改めて感謝だ。JR九州は多くの赤字路線を抱えている。それに加えて毎年起きる自然災害と膨大な復旧工事。人吉を通る肥薩線はいまだに不通のままだ。ここに来てコロナ禍でドル箱の新幹線収入も激減している。本当にこの先どこまでいつまで不採算路線が維持されるか。豊肥線も復活に喜んでばかりもいられない。クルマではなく鉄道で来てくれる人が増えるよう地域も知恵を絞らねば。

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