ポスト「絶対権力」
きのうは安倍元首相の葬儀が執り行われた。出棺して永田町を回って最後のお別れをする車列の模様はNHKの生中継で観た。人が亡くなるというのはそれだけでも悲しいものだが、約10年間日本の絶対的「顔」だった現役の大政治家の突然の死というものはなかなか受け入れ難い。その感覚はたぶん多くの人と共有されているのだろう。沿道の人の数は驚くほどだった。もはや自発的・内発的な国葬というレベルだと思った。あれだけ外国の多くの国の政治家からその死を惜しまれる人がかつていただろうか。まさに開闢以来、空前絶後だと思う。そして、あの、狙撃の一部始終の衝撃映像は、1962年のJFKの暗殺の瞬間がいまだに映像として語り伝えられているように後々まで何度も何度も再生されるだろう。そのことが安倍さんの神格性を増す。死してなお君臨するということかもしれない。他方、不謹慎な例えかもしれないが、今回のことは、大河ドラマの「鎌倉殿の13人」の源頼朝の急死と僕には何か重なって見える。史実としては、絶対権力であった頼朝の死のあと、人望とカリスマに欠ける二代目将軍頼家を13人の御家人が支える集団指導体制が敷かれるが、絶対権力の空白はいかんせん覆い難く、その後、御家人同志が裏切り、闇討ち、暗殺の内紛を繰り返し、ついには承久の乱という朝廷を敵に回す内乱にまで至る。10年間乱れに乱れた歴史がある。絶対権力のあとというのはパワーバランスが落ち着きどころがないので混乱するというのは一般論としてよくわかる。そして、いま。既に自民党が今後どうなるのかということが取り沙汰されている。いや、そりゃこれから大変だろうと思う。自民党がどれだけまとまれるかは、いまの世界情勢の中、結構この国の命運を左右するくらい大事なことかもしれない。