観光地
三陸のある町で事業を営むその人はその町を「観光地」にするのが夢。その町はいまは漁業の町で水産加工の町。観光で訪れる人もいるにはいるが、一般的に観光地という認知のされ方ではない。それを押しも押されぬ世界に知られる観光地にしたいのだそうだ。その人はその町で生まれ育ちずっとそこで生きてきた。あちこち転々としている僕とは全く違う人生だ。その町を心から愛していてその町で住んでいることが何よりも幸せなのだそうだ。ある意味羨ましくもある。その深い地域愛がなぜ「観光地」につながっていくのか本当のところは僕はまだよくわかっていないかもしれない。翻っていま僕は図らずも日本で有名な「観光地」にいる。厳冬期を除けば、いつも他県ナンバーのクルマが行き交い、国道沿いの飲食店にはお昼どきは列ができている。阿蘇は紛れもなく観光地だ。観光で生計をたてている事業者は当然のことながら多い。そうした人たちはこの2年余りのコロナで激しい傷を負った。客足が戻りかけてきた矢先にこの第7波。もう心が折れそうだと思う。しかし、歯を食いしばってこの仕事を諦めないのは、きっと「観光地」の仕事に意味と価値があるからなんだろう。昭和の終わりから平成にかけてはどこも放っておいても入食い状態で人がわんさか押し寄せた時代だった。観光はある意味増床すれば、キャパを増やせば儲かるイージーな業だったかもしれない。世の中が激しく変わった30年。「観光」が担う意味や役割も当然変わって当然だ。せっかく観光を業とする若い事業者さんが回りにもいることだし、観光のこれからを僕も考えてみたい。