栴檀は二葉より芳し

ソニーグループの社長が十時さんになった。一瞬驚きだったがよく考えれば大変順当な人事だ。十時さんとは僕が2000年に本社に異動したときにフロアがいっしょで何度かお話ししたことがある。物腰柔らかで非常に賢い人という印象。当時彼は本社財務でソニー銀行設立の真っ最中だった。大和証券からヘッドハントした人をオモテに立てて準備をやっていたが、本社の中やソト=財務省(大蔵省?)等当局との折衝など事務方仕事は彼が全てやっていた。まだ30代後半だったがそう考えてもとてつもない仕事だった。そもそもエレキ、モノづくりの会社がちゃんとした銀行を設立するなど今考えてもありえない話だ。通信環境もまだ光などなくISDN回線で「きっとこれからブロードバンドの時代が来る」と出井さんが言っていたくらいのナローバンドの時代に、無店舗のインターネット完結型の全く新しい銀行をつくった。先見性という意味では似たようなことを口でいう人はいっぱいいたが、実際にやったのは彼だった。それでも銀行をつくるなどよく当時のソニー本社が認めたと思うが、それも出井さんだったから、だし、十時さんだったから、ということだと思う。十時さんは仕事の腕っぷしは強いがお茶目な人だった。ソニー銀行を創る経緯をブログにして社内に配信していたが、毎回読んでて爆笑だった。面白い人なのだ。思えば、ソニーがいまこうして隆々としてあるのはちょうど10年前、平井さんがソネットにいた吉田さんに戻ってきてほしいと声をかけて実現したことが全てだ。そのとき吉田さんは腹心というか夫唱婦随の十時さんを連れていった。吉田・十時コンビがそれからソニーの大改革を始めた。ソニー株をグループ統括に集中させエレキを分社化して他の事業ユニットと並列に置いたのも地味だがすごい改革だ。あれでエレキ=ソニーの固定概念が一気になくなった。ソニーの事業領域の主軸にエンタがあることが内外ともに腹落ちできるようになった。内部スタートアップ支援の取組を外部コンサル事業にまで変革したのも始まりは十時さんだった。クルマをやりたいと言い出したのも十時さんが10年前に本社に戻って間もない時期のことだった。とにかく既存の既成概念、固定概念を、経営者にしかできない形で次々ぶっ壊し、新しい事業を次々取り組んでいった。やっぱすごい。栴檀は二葉より芳し、の例えではないが、ソニー銀行を創った若き起業家十時さんがついにソニーグループの頂点にたったということだ。感慨深いニュースだ。

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