老害
昨日一昨日と2日たて続けに「高齢者」の言動にアタマにくることがあった。日曜日はこの別荘地の住民意見交換会の席でのこと。80歳前後と思しき高齢者が進行役の意見も聞かず関係ない自分に話題に滔々と自説の演説を展開し、堪りかねて僕が「いい加減にしろ」的な注意をしたら案の定大口論になった。結局そいつがつまみ出されて意見交換会はそのあと平穏に進行したがとても気分の悪い日曜日になった。昨日は、支援先の会社に関すること。午前中は、従前から進んでいた事業承継案件を突然「やっぱりやめた、株は渡さない」と言い出した70代の社長。午後は午後で詳しくは書けないが会社価値を毀損しつづけている酷い70代経営者の事例の対応。どれも個別のケースなので安易に世代論をいう気はないが、まぁ総じていえば自由と民主主義になった戦後に生まれ自由を最初に謳歌した世代。学生時代はゲバ棒振るい会社に入ればモーレツサラリーマンになった自由闊達な人たちだ。加齢もあるのかもしれないが、彼らに共通しているのは、自分のこれからの立場や役割を世の中を俯瞰して見れていないこと。どれだけ世の中が変化しているのか、いまという時代がどういう時代なのかを理解している様子が皆無。視野狭窄の中で老いゆく自分を変えようともせずしがみついている。それがまさに老害ということだ。戦後の日本は人口爆発時代。消費者もマーケットも働き手も何もせずに増えた。いってみれば少々のバカでも経営ができたのだと思っている。もうそんな時代じゃない。権力にしがみつき後継世代に迷惑かけるくらいならさっさと引退しろと思う。少なし、「あんなじじい」には絶対にならない、なりたくないと思う。