絶対権力がもたらした民主主義

NHKの「映像の世紀-バタフライエフェクト」。昨日「GHQの6年8か月 マッカーサーの野望と挫折」 食い入るように観てしまった。良くも悪しくもいまの日本の平和と繁栄の礎はこの6年と8か月にある。終戦直後に米軍内で存在したという日本分割占領案というものが番組に出てきた。北海道と東北はソ連、関東から関西の本州中心部は米国、中国と九州は英国、四国は中国軍。ドイツの東西分断、朝鮮半島の南北分断どころではない。日本は切り刻まれ、国体護持も何もあったものではない。心底ぞっとする。この案はトルーマン大統領がすぐに一蹴してGHQが日本全体を統治する形になったが、ことほど左様に敗戦国日本の命運は木の葉のように戦勝国のいろんな思惑に翻弄されるものだったことがよくわかった。1945年8月30日に海から空から米軍が大挙上陸して星条旗を立てている映像はいまみても切ないものだ。マッカーサーもこの日厚木に降り立った。連合国総司令官。天皇も日本国政府もこの最高権力者に従属すると定められた。日本の歴史上ありえない/あってはならない統治の形。しかしこの絶対権力、独裁権力が、憲法改正、財閥解体、農地解放、婦人参政権等々いまの日本の民主主義の根幹に連なる大改革をたった数年でやりとげてしまう。独裁権力でないと絶対にできないことだ。絶対権力の下で生まれた民主主義。なんとparadoxicalなことだろう。坂口安吾が書いたという「日本の政治家が日本のためにはかるよりも、彼が日本のためにはかる方が概ね公正無私で、日本人に利益をもたらすものであったことは一考の必要がある」という一説はいまを生きる僕らにもそのまま刺さる言葉だ。

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