無理ゲー

最近、陰惨な猟奇的な事件が都会で多い。僕も含めて世の中はこういう事件があるたびに「理解不能」「厳罰で臨め」と叫ぶ。実際こんななことで命を落とす不条理が自分の子供や孫の身に起こったらきっと耐えられない。他方で、最近「無理ゲー社会」(橘玲 著)という本を読んで、なるほどなぁ、といろいろ気づかされる思いもあった。「きらびやかな世界のなかで、『社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する』という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが『自分らしく生きる』リベラルな社会のルールだ。才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア。」去年は大統領選で深まったアメリカの社会の分断を対岸の火事のように眺めていたけれど、足元の日本も自己肯定感ゼロもしくはマイナスの自暴自棄の若者を大量に生んでいるのだ。そのことへの無知がさらに分断を生む。「失われた20年」「デフレ」を経て、ついに「生きづらい」が流行語のようになった日本。この、自己肯定感を持てないという感覚は、若者だけではなく、おそらく、あらゆる年代、会社、仕事、学校、地域社会、家庭のあちこちで進行している病のようなものだ。しばらく時々はこの気の重いテーマと向き合ってみようと思う。

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