火山と生きる

きのう「海と生きる」という題で、自分を超越したものとの生きる意味のようなことをブログにしたら、その直後、阿蘇山が噴火した。規模的には最近では大きいほうの部類だ。速報直後に外に飛び出したら、真っ黒な噴煙がみるみる空を覆ってきて、一瞬、避難を考えた。当然だ。ここは火口からわずか6キロ弱。近すぎる。しかし、数時間後連続噴火は停止、いまは降灰もなく静謐な状態にある。6年半前に阿蘇に移住して以来、2015年9月の噴火、2016年の熊本地震、同年10月の噴火と立て続けにあり、そして今回。今回は昼間の噴火、かつ、動画による監視体制も強化されたので、所謂衝撃映像というのか、昼間全国にその様子が伝えられたこともあって、たくさんの心配のメッセージをSNSでいただいた。ご心配ありがとうございます。こんなに何度も心配される人も珍しいかもしれませんが、本当にありがたいことです。こちらは大丈夫です。この5-6年、観光地阿蘇はこうしたことの「風評被害」で本当に困ってきたので、コロナが落ち着きを見せているいま、今回のことでまた客足が遠のくのを本当に恐れている。火口には近づけないけど、火山を眺めながら温泉入るのは大丈夫なので、是非時間のある方は、生きている火山・阿蘇を見にきてください。火山というのはときどきこうして噴火するわけですが、巨視的には圧倒的に人々に恵みと豊かさをもたらしていると、住んでみて思う。豊かな湧水、広がる田園、おいしいコメ、野菜。ほとんど手つかずの自然が残るこの地に住むと「恵みと感謝」という日本人の精神性の原型が見えてくる。神は言葉をしゃべるヒトのようなものではなく「自然」。その自然に祈り、鎮め、祝い、感謝してきたのだ。神楽もそう。大蛇は火砕流のメタファーだと前にどこかで聞いたことがある。人間がどうやっても勝てない自然と、人間はコミュニティをつくり、いっしょになって祭事をやり、仲間としてこの自然とつきあってきた。そりゃそうだ。一人では絶対勝てないのだからヨコで連携するしかない。そう考えると、現代・都会が失いつつあるたくさんのものがここにある気がする。噴火や災害ばかり見ていては火山の本質は見えてこないし、火山と生きる人と連帯することこそ、ここに生きる意味だ。だから、僕も言う。「是非、阿蘇に遊びにきてください。」

火山と生きる” に対して2件のコメントがあります。

  1. 森本 剛正 より:

    おはようございます。「こちらは大丈夫です」の一言にひとまず安心致しました。不安は続きながらも、元気を取り戻しつつあった阿蘇の皆さんにとって、これからも「安心です」の発信が本当に大切だと感じています。数鹿流ヶ滝展望台の復活情報も早々にいただき、阿蘇の植田さんにもお会いしたいので、早い段階で阿蘇を訪れたいです。その時は、宿泊も含めましてお知り合いがございましたら是非ご紹介下さい。

    1. Kaz Ueda より:

      ありがとうございます。泊まる先でいいとこたくさん知ってますので、是非前広にご相談ください笑

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